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2009年8月28日 (金)

零式艦上戦闘機五十二型

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零式艦上戦闘機五十二型

昨日に続いての零戦、今日は五十二型です。プラモデルを作った事がある方、多分この五十二型が一番多いのではないかと思います。普通にイメージする零戦というと、大概このグリーンの塗色をした零戦ではないかと。

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カウリングを外してエンジン剥き出しで展示してありました。外したカウリングは下に置いてあります。

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零戦の翼内に搭載されていた20mm機関砲です。この他に機首上部に7.7mm機関砲が搭載されていましたが、私が子供の頃から不思議に思っていたのが回転するプロペラの後ろから撃って、良くプロペラに当たらないものだという事です。(笑)

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このプロペラの間を弾が通って行くのですねぇ・・・。

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プラモデルを作っていて一番難しかったのが後部胴体の塗装。緑と薄い水色が交わるところを上手くボカせないんです。筆で塗っていたからなんでしょうけど。

零戦で命を落とした数万のパイロット、そしてその他の戦闘で尊い命を落とした人たちのお陰で日本の今の平和があるのだと思います。戦没者の方々に合掌するとともに、争いのない、平和な世の中になる事を望んで零戦ブログを終えたいと思います。

LEICA R9 + Elmarit-R 19mm/f2.8 (type II) + DMR, Canon IXY DIGITAL 920 IS

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コメント

おはようございます。
零戦のプラモデルを作る方は、ここは一度は見学したいでしょうね。KONDOHさんが興味津々で見学していらっしゃるご様子が見えるようです^^
本当に、零戦を楽しく見学できる平和な時代の礎となった方々に感謝するとともに、これから先の世のことを思いますね。選挙、行かなくちゃ♪

koukoさん、おはようございます。
零戦、見ている時は1/1スケールの模型のように感じていました。まさに実物大のプラモデルです。
悲惨な戦争のメモリアルとしても保存する必要性もまた感じましたです。
戦闘機が飛び交わなくても良い世界になると良いですね。

紙上でのみでなく歴史の事実を学ぶ場所として実際のものを戦争記念物を保存して置くべきだと思います。
そうすれば美化することは出来なくなるのではと思います。
戦後の平和は戦没者の尊い命の代償として得られたことを考えねばならないと思います。
さらには戦後の日本の技術開発、国鉄の開発した新幹線を始め車両、工作機械等の民政用品の開発は、零戦等の戦前の特に海軍の技術者が戦後基礎作りをし開発したと聞いています。
戦争の遺物や戦跡を見るにつれこれからはステルスやミサイルが飛び回らない時代がくることを願ってしまいます。

こんばんは。
こんな所があるんですね。
一度訪れてみたいですね。
さすがKONDOHさん 飛行機の撮り方、目の着けどころが違いますね。

TOKIWAIさん、こんばんは。
広島の原爆記念館に入った際、私は涙が止めどもなく流れて来て仕方がありませんでした。原爆が残した悲惨な遺品も永遠に残さなければいけませんが、零戦も同様に残しておく必要があると思います。子供の頃はプラモデルを作って、ただ単純にカッコいいと思っていただけですが・・・。
戦前の工業技術が後にいろいろな形になって残ったわけですね。ニコンも大和の測距儀を作ったそうで、その技術が後のカメラに生かされたわけですね。

ramble-leicaさん、こんばんは。
元々は自動車博物館なのですが、今は零戦で有名になっているようです。
写真、特徴的なところを撮影したいと思ってシャッターを押していました。

こんにちは。
五十二型のエンジンは排気管が直後に出ています。排気圧力も利用したのでしょうか。
機首の機銃はプロペラの回転軸と同期して、プロペラが来るときには発射できないような仕組みになっているそうです。ただし、20mm機関砲のように初速の遅いタイプだと当たってしまうことがあるため、機首には小型の機銃しか載せられなかったようです。ドイツではプロペラの中心に銃身を持ってきたのもありましたが、それだと大型の機関砲が使えるわけです。零戦は20mm機関砲を両翼にもってきましたが、翼に収めるのには苦労したでしょうね。

ビワさん、こんばんは。
いろいろとお詳しいのですね。機首の機銃、プロペラと同期しているという事は分かるのですが、コンピュータが確立している現代ならともかく、この時代でそういう技術があった事に驚きを禁じ得ません。
20mm機関砲、相当な威力があったのでしょうね。

ご無沙汰してます。零戦の実物が見られるところがあるんですねぇ、、、私も小学生の頃プラモデルを組み立てたことがあります。父親が零戦乗りだったのでまた別の郷愁みたいなものもあります。私の父親は戦中は内地におりましたので、激戦地帯で操縦したわけではないのですが、零戦は主に21型に乗っていたようで、霞ヶ浦や谷田部、岩国、松山などの基地を転々として、空襲の度に迎撃に出たそうです。零戦の他に雷電とか紫電も操縦したようです。今だから言えますが、聞いた話では敵機を見かけたら一目散に逃げたそうです。F6FやP38には敵いませんから、、、終戦時には秋水のテストパイロット候補生として九州の基地にいたようです、、、

tamuraさん、こんばんは。
tamuraさんもプラモデルを作られましたか。
お父様が零戦のパイロットだったとは驚きました。21型で空襲の迎撃に出ていらしたのですか・・・。でも、敵機を見たら逃げる、これが一番ですね。一部のつまらない軍人が始めた戦争、むざむざと死にに行く事はないです。もっとも今だからこういう事が言えるわけですが。
秋水、聞いたような名前だな・・・と思って調べたら、やはりロケットエンジンを搭載した戦闘機ですね。しかしテスト飛行で失敗し、パイロットが亡くなったとの事。お父様、危ないところでしたね。

秋水、そうなんですテスト飛行は成功しませんでしたが、命拾いしましたね。父の戦友には神風特攻隊で出撃したもののエンジンの調子が悪く鹿児島県内の海岸に不時着水して命拾いした方もいます。そうそう、因みに私の兄の名前は秋水というんですよ。当時はテストパイロット候補生に選ばれたこと自体名誉だったみたいです。

テレビのドキュメンタリー番組で見たのですが、知覧から出撃して行く特攻隊、残っていた映像を見る事が出来ましたが、少年みたいな年齢のパイロットでした。私が生まれる遥か前の戦争ですが、狂っていた軍部のせいで・・・という思いでした。
お兄様のお名前が秋水さんですか。お父様にしたら忘れられない思い出だったのでしょうね・・・。

KONDOHさん、こんにちは!
零式艦上戦闘機52型を日本で見れることを知りませんでした。今度早速行ってみたいと思います。
私はアメリカのデイトン空軍博物館(オハイオ州)で本物のゼロ戦や桜花を見たことがあります。眺めていると何故かジーン!とくるものがあるのは日本人だからでしょうか?
でも、直ぐ横にボックスカー(B-29)の本物が置いてあり(アメリカですから)、飛行機好きの私でもこればかりはいい気分には成れませんでした。

ところで、私はポーランドから6月に帰国し、また飛行機写真ブログを再開しましたので、今後とも宜しくです!

YOSHIさん、こんばんは。
日本でも各地に復元した零戦があるようですが、飛べるのは一機もないと思います。飛んでる零戦を見るにはアメリカに行かないとダメでしょう。
10数年前に茨城県の飛行場で零戦とP-51の航空ショーがありましたが、私は行けませんでした。空中戦もどきのショーが開催されたようです。
そうそう、私が行った博物館、31日までの開館ですのでご注意下さい。
ブログ、拝見しております。こちらこそよろしくお願い致します。

こんにちは。
確かにコンピュータも無い時代に制御するのは難しそうですが、昔のカメラだって機械だけで制御できていたわけですから、それに比べれば容易だったのでは。
たとえば、トリガーは何も考えず、ひたすら往復運動をし、プロペラに当たるタイミングの時だけトリガーの前にストッパーが出てきてカツンと動きを止めてしまうとか、そんな感じじゃないですかね。

ビワさん、こんばんは。
確かに理屈では分かるのですが、高速に回転するペラの間・・・という事で大した技術だと感心しております。
裏を返せば当時から日本の技術が優れていたという事ですね。もっとも他国の戦闘機も同じように機首に装備されていましたが。

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