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2009年8月27日 (木)

零式艦上戦闘機二十一型

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零式艦上戦闘機二十一型

夜明けの赤富士を期待して行ってみたものの、曇天で撮影がままならぬ間、忍野でヒマワリを撮影して時間を潰した後、午前10時に近くなった時点で河口湖自動車博物館に向かいました。ここで本物の零戦を見るためです。

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飛行機館には二機の零式(れいしき)艦上戦闘機、通称零戦(ゼロ戦)が展示してあるのです。その二機は二十一型と五十二型で、東南アジアの島々より回収して来たオリジナルの機体を元に、20年の歳月を掛けて三機の零戦を復元したそうです。

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本ブログをご覧頂いている方々は私が飛行機好きだという事はすでにご存じの通りですが、私の撮影対象は基本的に旅客機のみなんです。軍用機はあまり興味がなく、知識もほとんどありません。

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ですが零戦には惹かれますね。子供の頃、プラモデル作りに熱中してた時は零戦を何機か作ったくらいですから。スタイルがカッコいいですものね。

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ここの飛行館には他に日本海軍の練習機「九十三式中間練習機」、山本五十六元帥が最後に搭乗した「一式陸上攻撃機」と同型機の後部胴体、ライト兄弟の「ライトフライヤー」のレプリカ、更にはロッキード T33A、F86F ブルーインパルス等々が展示されています。

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零戦、堀越二郎氏の設計、三菱重工業の製造で初飛行は昭和14年4月、現代の言葉でいうところのマイナーチェンジを繰り返しながら総生産数10,430機。

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以前、確かNHKだったと思うのですが、零戦を特集した番組の中で戦闘機としては俊敏な動きを充たすため、徹底的な軽量化が図られたとの事。米軍機はパイロットを守るため、操縦席の背もたれの部分に弾丸を貫通させない鉄板を入れていたのですが、零戦にはそれがないためパイロットが被弾しやすいという事でした。

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パイロットから防御装置についての要求があったにも拘わらず、当時の日本海軍はなかなか改良しなかったようですね。兵隊を人間として捉えていないところが窺えます。あまりの軽量化が過ぎたため、テスト飛行を行っている最中、急降下テストをしたところ機体の剛性が足りずに空中分解し、パイロットが亡くなっているとの事。

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第二次世界大戦初期には無敵を誇った零戦も、米軍の最新鋭機グラマン F6FやP-51 マスタング(ムスタング)が登場すると苦戦を強いられたとの事です。

LEICA R9 + Elmarit-R 19mm/f2.8 (type II) + DMR, Canon IXY DIGITAL 920 IS

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コメント

おはようございます。
これが今回の目的だったのですね。
写真を大きくして拝見すると、ピカピカしてとてもきれいです。模型がそのまま大きくなったように見えます。この飛行機館もそのまま格納庫みたいでいいですね。零戦の模型造りに夢中になる気持ちもわかるような気がします。

koukoさん、おはようございます。
お恥ずかしいです、零戦を一度見てみたいという気持ちがありまして・・・。(笑)
写真ですと明るく見えるかもしれませんが、結構薄暗くて手ぶれが心配でした。ISO 800で1/15秒なんて時も。
でもホントに大きな模型のように見えました。

おはようございます。
少年時代の気持ちを今も持ち続けておられるのですね。
グラマンとの対決で後ろからの防御に弱い作りになっていたため打ち落とされたという話を子供時代に聞いたときは、結構真面目に悔しかったのを憶えてます。
個人的には零戦よりも好きな機種がありましたが、今はもう思い出せません。

そう言えば、この博物館は、フェラーリやポルシェなどのクラシックカーが置いてあったところではないのですか。

KONDOH さん、おはようございます。
私は靖国神社の遊就館1Fホールに展示されている零戦を何度か見ました。YS-11の源流に触れたような気がしました。若い頃、羽田〜高松、伊丹〜高松間のYS-11は、まるで私の通勤飛行機みたいな感じだったのです。離陸するときは水力が出るまで車輪を踏ん張って、馬力がついたら一気に飛び出していきます。上昇するときはジェットみたいに一直線に上がることができないので、右へ左へ、まるで自転車で坂を登るときのように飛行するのです。飛行高度も低いので、下界の街並みや海岸線が地図を見ているような感じで、おもしろかったですよ。

零戦は、確かに子供の頃プラモデルを作ってました。かっこいいですからね。ただ、今観ると、ちょっと悲しい気分になります。戦争はイカンと思います。

こんばんは。
ゼロ戦は子供の頃プラモデルをよく作りました。
奥に見えている上面がグリーンのが52型でしょうか?21型52型なんて・・・懐かしいです。
さて河口湖自動車博物館のクルマの展示は?実は自分は入ったことがないのです。箱根のマツダコレクションはずいぶん前に見ているのですが・・・。

yymoonさん、こんばんは。
少年時代の気持ち・・・というより、少年時代から成長していないのかもしれませんねぇ・・・。(笑)
米軍はパイロットの命を大事にしていたようですが、日本軍は戦闘機の性能重視でパイロットは代わりが幾らでも居る、という考え方だったのでしょうね。酷い話しです。
ご質問の件ですが、おっしゃる通りスポーツカーも展示しています。というよりこちらがメインなのですが、私は見ておりません。(笑)

一葉さん、こんばんは。
靖国神社の零戦もこの博物館が復元した一機だそうです。
残念ながら私はYS-11に乗っていないのですが、一葉さんのコメントで大体どういうふうに飛んでいたかが分かります。
YS-11も民間路線では飛んでおりませんが、自衛隊機ではまだまだ現役で使われておりますね。

スカルピアさん、こんばんは。
プラモデル、作ってらっしゃいましたか。男の子は大概プラモデルのひとつやふたつ、作っていると思います。
おっしゃる通り、戦争はイカンです。私が旅客機を年中撮影しながら軍用機に興味を持たないのは、やはり最終的には殺人兵器だからです。旅客機が空を飛べる範囲は少なくとも平和です。軍用機が必要のない世界になって欲しいですね。

harasawaさん、こんばんは。
プラモデル、作ってらしたですか。零戦はスタイルが良いですよね。
おっしゃる通り、奥に見えているグリーンの機体が52型です。やはり後期のモデルですから、21型に比べると完成されていると思います。52型の写真も随分撮りました。
自動車も勿論展示されています。でも、飛行機の方が人気のようです。

こんにちは。
防弾装備どころか風防を付けることすら軍に反対されたとか。風雨なんか我慢しろってことでしょう。
旋回性能は重視されましたが、急降下性能や高速横転性能とかは軽視されました。複葉機時代のイメージが抜けなかったようです。
それでも名機と呼ばれるようになったのは堀越技師の力でしょうね。

ビワさん、こんばんは。
パイロットの生命を疎かにしていたという点は如何にも当時の日本軍らしいですね。
いつの世も一番偉い軍人は玉の飛んで来ないところで指揮しているものですが、そんなに戦争がしたければ先ずこういう人が先頭に立って行けば良いのですが。(笑)

こんばんは。
零戦は当時の日本の国力を象徴した戦闘機ですね。
初期の華々しい活躍から中期の苦闘。
最後には爆装した特攻機への悲劇性。
美しくも悲しい飛行機です。

Kenclipさん、こんばんは。
第二次大戦を象徴する戦闘機でしょうね。
しかしこの零戦でいったい何人のパイロットが命を落としたんでしょうかねぇ・・・。
子ども時代は何も知らずにカッコイイというだけでプラモデルを作りましたが、やはり旅客機が平和で良いです。(笑)

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