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2011年11月15日 (火)

広島平和記念公園

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原爆の子の像(2011.11.08)

2歳の時に被爆した佐々木禎子さんは元気で活発な女の子に成長しました。しかし10年後、小学6年生の時に白血病と診断され、約8ヶ月の闘病生活の後、1955(昭和30年)年10月25日に短い生涯を終えました。

禎子さんは鶴を千羽折ると病気が治ると信じ、闘病中いろいろな紙を使って1300羽以上の鶴を折り続けましたが、願い叶わず・・・。

禎子さんの死を悼んで同級生たちが「原爆で亡くなった子供たちのために慰霊碑を作ろう」と全国へ呼び掛けながら募金活動をしました。結果全国の学校、さらには国外からの支援によりこの像を完成させる事が出来たようです。

現在もこの像の下には数多くの折り鶴を収めた折り鶴台が設けられています。

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平和の鐘

すべての核兵器と戦争のない、真の平和を目ざし、そのシンボルとして作られた鐘楼です。鐘の表面には世界は一つを意味する国境のない世界地図が浮き彫りにされています。

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平和の灯(ともしび)

水を求めて川に飛び込んだ犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界平和を求めて1964年(昭和39年)8月1日点火以来、現在まで火を絶やさずに燃え続けています。

右手の慰霊碑後方の建物は平和資料館です。是非この資料館は訪れて頂きたいです。資料館を背にして慰霊碑の前に立つと、前方には原爆ドームが見える設計になっています。

Hiroshima_10
資料館にて(撮影は承諾済み)

SONY α77 + DT 16-50mm/F2.8 SSM

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コメント

原爆資料館は何度か訪れていますが人間の行動がなしたこととは思えない惨状だと感じていました。しかしその66年後今度は自らの手で再び原発事故をもたらせ放射能を浴びさせてしまった。この年月はいったい何だったのだろうか。ただ悲しんでおられない事実が・・・
千羽鶴に祈りを込めて願った少女の思いも、吉永小百合さんが語る原爆詩集の朗読を聞いて何も出来ないのかとむなしさがあるばかりです。
一度は訪れてみるべき所だと思います。

Tokiwaiさん、
そうでしたか、資料館には何度か訪れておられましたですか。いろいろな資料、写真を見て戦争の本当の悲惨さを見た思いです。
あれだけの惨劇を世界で唯一受けている日本が、再び原発事故で同じ事を繰り返すなんて・・・。誰が原発は安全などと言っていたのか・・・。
日本人なら一度は訪れてみる場所だと思います。

こんにちは。
幸いなことに、長崎を最後に実戦で使われることはありませんでした。一方で、アメリカ国民のように、国家元首が広島を訪れることを頑なに反対する人々がいるのも、また事実。
世界中の人々が当たり前のように訪れるような世の中にならないといけませんね。

ビワさん、こんばんは。
未来永劫、核が使われる事が無いよう願いたいですね。資料館を見たら誰もがそう思うのではないかと。ホントはアメリカ国民に見て頂くのが一番なのですが。

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