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2013年11月12日 (火)

第十八共徳丸

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宮城県気仙沼市にて(2011.9.26撮影)

津波で宮城県気仙沼市の市街地に打ち上げられた「第十八共徳丸」の解体工事が終わりました。

私がこの写真を撮影した時、地元の被災者から伺ったのですが、大津波の爪痕を後世に残す為、この船は記念として残すらしいです、との事でした。

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ところがその後、気仙沼市全世帯を対象として、この船を残すか否かのアンケートを実施したところ、約7割の世帯から「残す必要は無い」との回答があり、最終的に解体する事になりました。

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港から750メートルも離れたこの市街地まで流されて来たのですから、改めて津波の脅威を感じます。調べたところ、第十八共徳丸は全長60メートル、総トン数330トンという大型漁船です。それが流されて来たのですからねぇ。

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保存に反対した方たちからは「震災を思い出す」というご意見が多かったそうです。

前述した通り、地元の方から保存する事をお聞きした際、「それも有りかな」と思ったものでしたが、実際のところ被災者の方々がこの船を見る度、悲惨な出来事を思い出すわけですよね。

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門外漢の私がとやかく言える資格はないですが、やはり解体して良かったのでしょう。

震災から早くも2年8ヶ月が過ぎました。しかしながら相変わらず東北の復興事業は遅れているようです。復興予算が他の事に使われていたというニュースも流れています。
政治家の方々、もう少しご自分の目で現地の様子を見る必要があるようです。

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コメント

おはようございます。
KONDOHさまもご覧になったと思うのですが、山側(5枚目の写真だと、奥の方)の高台に三陸鉄道が走っていて、それが「防波堤」の役割を果たしたおかげで、線路から山側へは高さ1mほどの津波が押し寄せただけで済みました。
そこの住人の方とお話しさせていただいた際、「なんかよ・・・下の人にもうしわげねーのさ(申し訳ないんだよ)。おらたちだげ助かって」と言われていました。凄惨な出来事が起きたあと半年から二年目ぐらいまで「助かって申し訳ない」と、多くの方が感じられるそうです。
保存か解体か・・・大きく揺れました。「震災遺構」という言葉も生まれ、「阪神淡路大震災では、震災遺構がないから震災の記憶が風化した」と言う人もいます。
遺構がなければ語り継ぎ、様子を知りたければ写真を残す。これで十分なのではないでしょうか?
そのために私たちは写真を撮っているのですから。

ろだごん(時々JIQ) さん、おはようございます。
高台かそうでないか。私は松島を訪れた時に、それが生死を分けた事を現実に見る事になりました。
松島に向かう海側の道は上がったり下ったりの繰り返しでした。上がったところは津波の被害を免れ、下ったところはまともに津波の被害を被っておりました。
人間の運不運と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、高台に住んでいる方達は下の被害を見る事となってしまったわけで、とても複雑なお気持ちになった事と思います。
阪神淡路大震災のモニュメントは少しだけ神戸メリケンパークにありますが、ほんの申し訳程度しか保存していません。でも、復興のためには仕方ないと思います。
気仙沼のこうした実態、僅かながらでも写真に残せた事によって、私一人でも他に知らしめる事が出来ました。
直接被害を被ったろだごん(時々JIQ)さんとしては大変複雑なお気持ちかとご推察します。そして現在の姿をいつもろだごん(時々JIQ) さんのページで拝見させて頂いています。
真冬並みの寒気が入りました。これから寒さも増して来ますので、お体大切に。

こんにちは。
船は浮くように出来ているので、意外に流されやすいのでしょう。とはいえ、これだけの船が流されたということは、相当の高さの津波だったということですね。
こういった痕跡を残すか残さないか、意見がまとまらないことが多いようですが、それも復興の足かせになってしまうのでしょう。

ビワさん、こんばんは。
震災の記憶として残すのにも、かなりの維持費がかかるようです。
これだけの船が陸地へ流れて来るのですから、津波の高さが尋常でない事が窺われます。それを記憶に留める為に残すと言うのも一案ではありますが、やはり被害に遭われた方々のお気持ちはそういうものではないのでしょうね。

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