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今日は新宿御苑から。ただ、撮影は今月初旬です。
秋バラが咲き始めの頃でしたが、例年に比べると咲き具合があまり良くないですね。台風の影響かも。
落ち葉だけは例年より早いような。
名前は分かりません。樹木の枝から出ている葉ですが、一部の葉だけこのように赤く色づいています。
苦手な方、すみません。m(_ _)m
これだけ拙宅で撮影しています。以前、旭川のお友だちから頂いた一本のシュウメイギク(咲き終えています)を指示通り植えたら、一昨年より昨年、昨年よりも今年と花が増え、この秋も沢山の花が咲きました。
Nikon D700
AF-S Micro NIKKOR 60mm F2.8G ED
「高校生からわかる原子力」池上彰 著
株式会社 集英社より刊行(文庫)
27日未明、四国電力伊方原発3号機が再稼働したとのニュースが流れました。東日本大震災時、津波による福島の原発事故が原因で未だに自宅へ戻る事が叶わない多くの人たちがいらっしゃるにも関わらず、原発再稼働。地元では反対する住民が抗議しているようです。
だからという訳ではないのですが、最近私が読んだ本を今日はご紹介します。すっかりテレビでお馴染みになっている池上彰さんが書かれた上記の本です。
世界で唯一、原子爆弾が投下された広島と長崎。その原子爆弾がどういう経緯で製造されたのか。また、その後の原子力がどのように開発、使われているかを実に分かりやすく書かれた本で、私も知らない事ばかりが書かれていました。
第二次世界大戦中、ドイツが先に原子核分裂爆弾を作り出したら大変な事になると危惧したアインシュタインは、そのドイツが敗北する情勢である事を見て、もはや原子爆弾を作り出すべきではないと考え、ルーズベルト大統領に「原子爆弾についてのすべての作業を即時に中止する命令を出して欲しい」との手紙を書いていました。
しかし、ルーズベルト大統領の急死によって、アインシュタインの手紙は大統領の目に触れる事はなかったのです。結果、原子爆弾の開発は進み、とうとう広島、長崎に原子爆弾が投下されてしまいました。
ただ、この本を読んで驚いた事は、日本も原爆を研究していたという事の事実です。何と、1944年7月からは、ウラン濃縮実験が始まっていたとの事。ところが1945年4月の空襲でその実験施設が消失。よって、実験は中止になりました。
日本は同じく原爆を研究していたドイツにウラン鉱石を送るように依頼していましたが、ウランを積んで日本に向かっていたドイツの潜水艦が途中で攻撃を受け沈没したため、日本にウランが届く事はありませんでした。
※ もし、そのウランが日本に無事届いていたら・・・。唯一の原爆被災国と訴えている現在の日本ですが、場合によっては日本が先に原爆を使っていた事も有り得たという事実に私は驚愕しました。
戦後、原子力の平和利用という名目で、世界各地に原子力発電所が造られました。敗戦国日本は大分遅れはしましたが、やはり日本各地に原子力発電所が造られた事は皆さんご存知の通りです。
日本で原子力の開発を進めた最大の牽引者は太平洋戦争中、海軍将校だった中曽根康弘氏(後の総理大臣)でした。そして、民間人で原子力導入に一番の功績(?)を上げたのが読売新聞社の正力松太郎氏です。
現在のプロ野球にその年最大の功績を挙げた投手に贈られる「正力松太郎賞」の、あの正力松太郎氏でした。詳しい事は本書に書かれていますので。
原発マネーが欲しい地方自治体。原発が設置されている事による、或る種の「迷惑料」として支払われるその金額は莫大なものであります。その恩恵を享受しているのは地元政治家、とも書いてあります。
ロシア(当時はソビエト連邦)がアメリカの後、それほどの時間を経ずに原子爆弾の開発に成功したのは、アメリカがイギリスの科学者に応援を依頼した際、その科学者の中にロシアのスパイがいたからだそうです。こんな事も本を読んで知りました。
福島の原発事故後、日本各地に放射性物質が飛び散り、実際に各地で検出されているにも関わらず、政府は「福島の事故に由来するものではない」、と否定しているそうですが、改めて原発の怖さをこの本で知りました。絶対安全な原子力発電所なんて無いのです。それは歴史が物語っています。
原子力発電所で必ず出て来る「核廃棄物」ですが、すでに発電所の貯蔵所では賄えない量になっています。では、その核廃棄物をどうするか?
それは地中に埋めようとしているのです。今、一番の候補が広い大地を有する「北海道」だそうです。もちろん他県も考慮中ですが、いつも何かあると迷惑を被るのは地方ですね。都心に住む政治家の方達には全く影響のない地を選ぶ訳です。
池上彰さんはこの著書で、いずれこの地球のあらゆる地下は核廃棄物でいっぱいになるとおっしゃっております。人類が開発した原子力で、その人類が核によって滅びる事も現実として有り得るのではないか。正しくSF映画で描かれる事が現実に。そう私はこの本を読んで思いました。
是非、ご一読をお勧めしておきます。
私自身、二度目の遭遇となったカワガラス。場所は知床に流れる川です。
実はヒグマを待ち受けていたのですが、現れず。(^^;
代わりに登場したのがカワガラスというわけです。
実はこの場所。まだまだサケやカラフトマスがそれほど遡上して来ていなかったので、場所的には少し早かったようです。
二羽現れたのですが、お分かりになりますか?
カワガラスは水生昆虫などを餌としていますので、水の中に潜る瞬間も撮影してはいます。
フルサイズではややレンズが短かったですが、このカットは幸い手前に飛んで来ました。最初はこちらを警戒していたのかもしれません。
ふざけたタイトルですね、今日は。
名前にカラスと付いていますけど、あの迷惑なカラスの仲間ではありません。
SONY α7 III
SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM Contemporary
SIGMA MC-11
やや中途半端なフレーミング。橋にライトアップ用の照明をオリンピック開催までに間に合わせるよう工事が始まるとかで、柵で囲まれてしまっていたのです。
橋の欄干から撮影すると、その柵が画面に入ってしまうため、レンズを上に向けています。
厩橋からの風景は私のお気に入りで、年に数回は訪れています。
この日は前日の予報とは裏腹に、昼過ぎまではご覧のような好天。
これからはお散歩写真しやすい気候になりますね。
ご覧のような現在の姿。しかし、都も国もオリンピックにかける費用は膨大なもののようですね。
昨日の永代橋の写真と今日の写真、撮影日が異なっております。
LEICA M(Typ 240)
Elmar-M 24mm F3.8 ASPH.
拙ブログでは何度目かの北浜駅です。で、いつも同じアングルの写真。(^^;
オホーツク海沿いを走ったら寄らずにはいられません。(笑)
もうお馴染みの駅舎の中。駅舎の中で営業している飲食店「停車場」も人気です。
私は見た事がないのですが、高倉健さんの映画「網走番外地」では網走駅をこの北浜駅を使って撮影したそうです。撮影時の網走駅がモダン過ぎて映画に相応しくなかったからだそうですが。
ちなみにこの事は、11年前に某旅行社の道東ツアーに参加した際、北浜駅前を通過する時にバスガイドさんの車中ガイドで知りました。(^^)
オホーツク海に一番近い駅としても北浜駅は有名です。
この時、浜辺では釣竿を一人で20本くらい浜に刺して釣りをしていた人がいました。いやいやビックリものでした。(笑)
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
今日は能取湖(のとろこ、或いはのとりこ)のサンゴ草です。
こちらは旭川のお友達の案内で知った、サンゴ草の群生地。
以前はオホーツク海に繋がっていた汽水湖でしたが、1973年に行われた護岸工事でオホーツク海とは遮断されたため、珍しい海水の湖となっています。
一般にはサンゴ草の名で知られていますが、厚岸草(アッケシソウ)が正式な名前。
訪れた時はややピークを過ぎていたかなぁ・・・という色合いでした。ピーク時はもっと赤い色をしているらしいです。
それでも前回訪れた時よりも量的にも増えていましたし、訪れてみて良かったです。前回は少々悲惨な状態でしたので。
ただ、もう少し海水に浸かっていれば・・・という感じではありました。
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
「網走行き」が知床斜里駅へ入線して来ました。
ほとんど真逆光での撮影ですが、レンズは破綻なく写し止めてくれました。
知床斜里駅に来たのはこれで何回目になるのか・・・?(^^;
終点「網走駅」に向かって列車は向かって行きました。
知床斜里駅、綺麗ですね。
私が「男はつらいよ 知床慕情」で見た時は「斜里」という駅名でした。駅舎の外装も↑この様子とは全く違います。
その旧斜里駅、竹下景子さんが駅から父親役の三船敏郎さんに電話をかけるシーンに使われていましたが、駅前の様子も今とは全く違っていました。随分と整備されたのですね。
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
正面の山は武佐岳(標高1,006m)です。
以前から一度、中標津を訪れてみたいと思っていました。山田洋次監督作品に「家族」、「遥かなる山の呼び声」、「男はつらいよ 知床慕情」といった名作がありますが、これらの作品で中標津が舞台として使われているのです。
特に高倉健さんと倍賞千恵子さんが共演された「遥かなる山の呼び声」は中標津が中心です。倍賞千恵子さん演じる民子が亡き夫の残した牧場(酪農)を細々と営んでいるのですが、映画で見たその中標津を一度見たいとずっと思っていたのです。
そうしたら、映画で登場する牧場とそっくりな牧場を道中見つけ、記念に撮影しようと思ったのですが、お仕事をされている方がいらっしゃったので撮影は遠慮しました。
あそこに倍賞千恵子さんが立てば、まさに映画のワンシーン・・・という感じでした。
中標津ですが、走っても走ってもコンビニはおろか、個人店舗ひとつ在りません。山田さんの映画では「離農」を問題視していましたが、自分の目でその環境を見ると、それなりに考えさせられます。
一度も利用した事はありませんが、空港に寄ってみました。
展望デッキに出てみたのですが、飛行機の姿はありません。1時間ほど待たないと着陸機がないので、諦めました。
近くには養老牛温泉が在ります。
嘗て、釧網本線の支線として標津線が中標津を通っていましたが、平成元年に廃線となっています。山田さんの映画の中で標津線「上武佐駅」が出て来ます。
ターミナル内に掲げられていた地図を撮影しておきました。
赤い現在地の矢印の直ぐ上に見える釣り針のような細い半島が野付半島です。面白い形をしていますでしょう?
で、その右上の大きな長い島が北方四島のひとつ、国後島です。
※ 「遥かなる山の呼び声」ですが、11月24日夜9時からNHK制作のリメイク作品が放送されます。高倉健さんの役を阿部寛さんが、倍賞千恵子さんの役を常盤貴子さんが演じています。
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
野付半島(全長28km)の突端近くに「野付半島ネイチャーセンター」がありました。もちろん知らずに車を走らせていたのですが。
ちなみに野付半島は海流などによって砂が自然に集まって出来た半島らしいです。
で、二階の観察所から目視で見ていたら、シギ類らしい一羽を見つけ、センターの職員さんに「あの鳥は何ですかね?」と指差しながら尋ねると、双眼鏡を覗きながら「ああ、冬羽のダイゼンですね」と。
え? もう冬羽?・・・と。さすが北の大地。車へカメラを取りに行き、撮影。
遠くに見えるのはもちろん国後島です。北方四島の一つ、国後島をバックに野鳥を撮影出来ました。
国後島、近くに見えますでしょう・・・?
その距離僅か16kmです。こんな近くに見える島が何故ロシアなの?
さすがにアオサギを見ても嬉しくも何とも・・・。
何処に行っても見ますからねぇ・・・(^^;
野付半島ではタンチョウ、オオハクチョウ、コクガンなど、タンチョウを除く渡りの野鳥たちにとって中継地点として使われ、四季を通していろいろな野鳥が見られるようです。
訪れた日は曇天でイマイチ天候には恵まれませんでしたが、また訪れたくなる半島でした。
SONY α7 III
SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM Contemporary
SIGMA MC-11
初めて訪れた野付半島。
エゾジカのオスが「ロシアよ、北方四島を返してくれ!」と言いながら国後島を見つめていました。(笑)
エゾジカの前方に見えている島は国後島(ここから僅か16kmしか離れていません)です。知床半島の羅臼からですと、ほぼ平行に国後島を見る事になりますが、野付半島からは真横から見る位置になります。
理由は分かりませんが、野付半島ではエゾジカのオスが群れを作っていました。
そもそも、何故こんな釣り針のような形をした細長い半島にエゾジカがいるのか、見た瞬間は本当にビックリしました。
車を走らせている道の直ぐ両側は海です。
と、前方にシカの姿が! 車のフロントガラス越しなので、ピントはイマイチですが。
これまた何故だか分かりませんが、半島の付け根付近は標津町で、しばらくすると「別海町」の標識が現れます。
突端に向かって右側が野付湾で、湿地帯はラムサール条約に登録されています。
その湿地帯をエゾジカが駆けていました。水の上を駆けているエゾジカなんてそうそう見る機会はないと思います。この場所ならではかも。
野付半島入口から根室までは僅か90kmしかありません。北海道での90kmなんて、一時間半も掛かりません。この日は根室には行きませんでしたが、広大な北の大地、今回も随分と走りました。
SONY α7 III
SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM Contemporary
SIGMA MC-11
鶴見線から南武線に乗り換え。
こちらは南武線浜川崎支線の「浜川崎駅」ホームです。浜川崎駅〜尻手駅間(僅か4駅)のワンマン運転。
私はこの区間を初めて乗りました。
浜川崎駅、鶴見線も南武線も無人駅です。
尻手駅まで乗り、川崎駅へ逆戻りする面白い路線でした。
逆戻りですが、尻手駅の次は川崎駅なのです。ちなみに尻手駅〜川崎駅間は南武線の本線。
尻手行きの電車が出るまでの間に、貨物列車が二本通過して行きました。
私の住居環境ではJRの貨物列車を見る機会がほとんどないのですが、浜川崎に来ると貨物列車を頻繁に見られる事をこの時知りました。(^^)
SONY α7 III
CONTAX Planar T* 50mm F1.4 AEJ
鶴見線に乗って、終点「浜川崎駅」に来ました。乗って来た電車は車庫へ入ります。
この駅へ来たのはこれが二回目。
で、これから南武線に乗り換えです。目指すは川崎駅。
こちらが南武線の「浜川崎駅」です。
鶴見線から南武線に乗り換えるには一旦、鶴見線の浜川崎駅改札を出なければなりません。両者の「浜川崎駅」は道を挟んで向かい合っています。
何となくのどかな雰囲気のところです。
鶴見線「鶴見駅行き」が始点の「浜川崎駅」へ入って来ました。
鶴見線は、鶴見駅〜浜川崎駅間の路線ですが、事実上、沿線の企業に勤める人たちの為の路線と言っても過言ではありません。京浜急行線の大師線も似たような路線ですね。
SONY α7 III
CONTAX Planar T* 50mm F1.4 AEJ
今年も知床峠を越えて、羅臼を訪れました。
北方四島の一つ、国後島(くなしりとう)が綺麗に見えています。正面のお山が国後島で一番高い「羅臼山」です。海は根室海峡。
夏にはクジラやシャチが見られる事で観光船が人気ですね。一昨年、私も観光船から野生のシャチを見る事が出来ました。
河口付近では釣り人を多く見ます。遡上して来るサケが狙いですね。川での釣りは法を侵しますので、皆さん河口付近に集まっています。
この河口からサケやカラフトマスが遡上して来ます。当然、そのサケ・マスを目当てにヒグマが山から降りて来るわけですが。
オジロワシを見付けました。(笑)
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
実は先週、北海道に行ってました。いつもであればブログをお休みさせて頂くのですが、7月途中から8月いっぱい休みましたので、今回は一週間分の記事を予約アップロードしておきました。
今回は知床が中心。
これがフレペの滝です。このように流れる水は白糸の滝のよう。冒頭写真の右側にこの滝があります。
水量が少なく、乙女の涙のようだと別名「乙女の涙」とも呼ばれているようですよ。ロマンチックですねぇ・・・(^^)
時間帯は午前10時過ぎで、滝が日陰に入って少々見づらいですね。
滝を撮影したところから周りこみ、滝の上辺りから撮影したのがこのカット。
断崖絶壁と申しても過言ではない場所です。撮影している自分の足元先からは崖になります。
しかし紺碧のオホーツク海にスカイブルー、絶景かな絶景かな・・・という感じです。
フレペの滝に出るにはこの原生林の中を歩かなければなりません。遊歩道が設けられていますが、大人二人がやっとすれ違う事が出来るくらいの細い道です。
森の中をようやく抜けるとこの景色!
で、さらに歩いて行くと、断崖絶壁で最高の眺望が見られるわけです。
ちなみに山田洋次監督作品「男はつらいよ 知床慕情」で獣医役の三船敏郎さんがスナックのママ役の淡路恵子さんに愛の告白をするシーンはこの辺りで撮られたらしいですよ。
入り口にはこの掲示板が。ヒグマが出ていますね。このようにヒグマが生息しているところを歩くわけですから、最新の注意が必要です。
昨年もここに来たのですが、その時はヒグマが出没したという事で遊歩道が閉鎖されていて入れなかったのです。今回は入れましたので、素晴らしい絶景を見る事が出来ました。(^^)v
ヒグマを見掛けたらこの左手にある事務所に報告をします。多分、そうなると遊歩道は閉鎖になるのだと思います。
しかしこの10年ほど、回数は自分でも分からないほど春夏秋冬知床に来ていますが、私は今だにヒグマを見た事がありません。余程ヒグマに嫌われているようで。(爆)
仕方ないので、このヒグマを撮影して来ました。(笑)
余談ですが、ラジオやテレビでは北海道電力さんからのメッセージスポットが頻繁に流れていました。内容は「無理のない節電をお願いします」というものでした。当然ですね。
SONY α7R III
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS
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